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2012年1月29日 - 2012年2月4日の1件の記事

2012年2月 1日 (水)

東大秋入学移行について

東京大学が、5年後をめどに秋入学を実施するという。一部導入ではなく、全面移行というから、いささかやっかいだ。東大がこれを始めれば、一校の改革にとどまらず、他大学はもとより、やがて日本の初等・中等教育全体が学年歴を変更する流れが出来するだろうし、官公庁をはじめ学生の主要就職先も対応をせまられるだろう。すでにいくつかの国立大学は対応をほのめかしており、官公庁も前向きな姿勢を示し始めている。

これだけ強気な改革を打ち出すのは東大だからであり、自分たちが動けば他所はついてくるはずだという思いがあるに違いない。世界ランクは25位(2011年)とはいえ、国内では1位、アジアでも1位であるから、これを無視するのは難しい。いささか可笑しいのは、国内では多くの学校・企業が東大に追随しようとする可能性が大きい一方、東大は「国際化」を錦の御旗にして、海外の大学に追随しようとしていることである。

実際に、海外では秋入学が当たり前で、春入学は留学生を取り込む上でマイナスであり、日本人学生が海外の大学へ留学する際にも制約となる。東大としては、それが世界の一流校になれないでいる理由の一つと考えているのだろう。だから、高校生に卒業後半年の猶予期間を強制し、学部卒業生にも就職までに半年の空白を強いてまでも、秋入学を実施するメリットは(大学にとって)あると踏んでいるのだと思う。

日本の教育制度全体がゆくゆくは秋入学へ統一され、就職も秋入社・入庁に変わっていくことは有り得るし、結果として日本の「年度」そのものが秋始まりに変更されていくかもしれない。しかし、それが5年程度で実現する可能性は低い。その間、かなりの混乱が予想される。

すぐに対応を迫られるのは、いわゆる「一流大学」であり、旧一期校・旧帝大や、偏差値65以上の名門私立ということになろう。東大と競合する大学は、春入学を一つのメリットとして当面維持する選択肢もあるわけだが、おそらくは足並みを揃えてくる可能性が高い。いや、一番有り得るケースとしては、日本の学年歴が秋始まりに全面移行するまで、春入学と秋入学を併設することだが、それにはかなりの支出が必要となる。

この10年ほどで、ほとんどの大学でいわゆる「セメスター制」が導入され、授業は半年で完結し、半年ごとに単位が認定されている。ただし、それはあくまでも通年のカリキュラムを半年で一旦区切っているにすぎず、本当の意味での「セメスター制」が行われている大学はあまり多くないのが実情である。

本当の「セメスター制」は、春から初めても秋から初めてもいいようになっていなくてはならない。積み上げ型の科目で、1年かけて学ぶべき内容を秋から始めるとすれば、その後半部分を学ぶ授業が春から開講されている必要がある。そうなると、原則全ての(積み上げ型の)科目は、常に前半部分と後半部分が同時開講されていなければならない。積み上げ型でない講義科目もあるが、おおまかに見積もって7割の授業が開講数二倍になり、その分の教員や教室を手配しなければならないわけだ。広大な敷地と潤沢な資金力を有する大学は対応できるとしても、ほとんどの大学は人件費の高騰と教室使用率の高止まりに悩んでおり、春秋併設は現実的でない。

だから、春入学を続けるか、秋入学に全面移行するかの選択に迫られる大学が大多数に上ると思われる。そうなると、いわゆる「一流校」は秋入学に移行し、「二流以下」は春入学を維持することになるはずだ。なぜなら、東大の競合校以外が、学生に入学前と卒業後を合わせた1年の空白期間を強い、親の経済的庇護下から独立するまでに1年余計にかかることを保護者に納得させるのは、現今の経済情勢では容易でないからだ。

そうなると、企業の学生採用は、次第に秋を重視するようになる可能性がある。人気の業種や一部上場企業は秋入社に移行し、中小企業は春入社組に期待をかけるようになる。つまり、大卒者の中で、今以上の二極化が進行するだろう。

以上は、あくまでも日本の「年度」が春から秋へ全面移行されれば次第に解消される問題ではあるが、その「移行期的混乱」の影響をもろにかぶる学生が多数に上ることは間違いなかろう。

一方で、いわゆる「国際化」についても考えておかねばならないことがある。東大は、海外の優秀な学生を呼び込みたい。そのためには、授業を英語で行うことを推進するだろう。東大が意識する「優秀な」学生は、主として英語圏の若者ではないかと思う(現東大総長が、大学院の入学式で英語のスピーチをしていたのはテレビでも放映されていた)。

ただし、東大の外国人留学生も非英語圏から来ているケースが多く、特にアジアからの学生は常時かなりの割合に上っているはずである。それは、アジアでは1位という東大の位置からしても自然ななりゆきである。非英語圏出身であっても、東大の想定する「優秀な」学生は英語の読み書きや日常会話はこなすだろうが、そこからこぼれ落ちる人々も出てくる可能性がある。

また、アジアからの留学生にとっても、日本は留学先として第二希望以下であることが多く、ステータスを求めるならアメリカやイギリスを目指すことになる。つまり、そもそも「なぜ日本か?」という問題があるわけで、それが解消されない限り、留学生数が一気に増加することはあり得ない。

海外の高校を卒業して、すぐに東大へ入学する外国人学生が、高度な日本語運用能力を有している可能性は低い。彼らを取り込もうということは、東大が「英語公用語化」に舵を切ることを間接的に意味している。「英語公用語化」については、あちこちで論じられているし、英語で授業を行う大学も出始めているが、当然ながら、メリットとともにデメリットも大きい。企業の「英語公用語化」と同様の(あるいはもっと細分化されたやっかいな)問題が数多く出来するはずだが、それについて東大はどう考えているのだろうか。

これまでは、日本の大学に入ろうという留学生の多くは、半年間日本語学校に通うことが多かった。日本語学校において、留学生は日本語の習得とともに(日本語を通して)日本についての誤解の一端を解消することができた。学校そのもので学ぶことも重要だが、半年間の準備期間を経ることによって、日本社会への不適応を一定程度回避することにもつながっていたはずだ。当然、経済的な負担とのトレードオフであったことは間違いないが、圧倒的なマジョリティである日本人学生に経済的負担を強いる一方で、外国人学生の負担を軽減するというのは、やはり本末転倒ではないかと思うのである。

そもそも、東大は留学生に対して、日本語運用能力を一切求めないつもりなのだろうか。仮にそうであるなら、日本社会を実質上体験することなく、日本に対する確かな理解を身に付けることもない留学生が、大学という「租界」で4年間生活して帰って行くことになろう。もっとも、日本の大学はキャンパス内に学生寮をおいていないし、留学生もアパートを借りてアルバイトをするはずだから、最低限の日本語能力は求められる。自力でアパートを借りる必要も、アルバイトをする必要もない学生であれば、逆に半年間の経済的負担は大きな問題ではないのではないかという気がするが、どうなのだろう。

なにより、東大のいう「国際化」がどういうものなのか、どうにもよくわからない(「グローバル化」完成のための最後の一手?)。大学世界ランク10位以内に入るために日本の春入学制度が足かせになっていると感じているとして、それを改めることで得られるメリットが、デメリットを大きく上回るのかどうか、現状では見えてこない。憶測でものを言うのは嫌なのだが、TPPと連動しているような気もしてくる。

春入学制度を堅持すること自体に大きなメリットがあるとは私も思わない。しかし、4月始まりで出来上がってしまっている日本の社会システムを、全面的に変更することのメリットも、現状では曖昧なのではなかろうか。今これを一気に改めることは、やはり拙速なのではないかと思う。改革は、手を付けたら最期、ある程度までやりきらねば終えられないものだ。広範囲に遺恨と後悔の種を蒔くことも覚悟の上か、それでもやらねばならないほど切羽詰まっているのか。単なる現状の伸び悩みを突破する起爆剤としての改革であるなら、私は反対だ。

 

【2/1追記】

NHKのNews Watch9で、今ちょっとした特集をしていたが、好意的な意見がほとんどなのに、「ほんとかよ」と思う。

確かに、浪人したりしても後から振り返って有意義だったと思うことはあるだろうし、休学して留学やボランティアに出る学生もいるのは事実。それを言うなら、人生に完全な「無駄」はないということも言えなくはないわけだ。

ただ、ここで問題なのは、それを全員に強制する方向へ行くということ。なんとなく、文革中の中国で行われた「上山下郷」(学生を強制的に農村へ行かせる政策、「挿隊」)を思わせる。「挿隊」は、歯止めのきかなくなった紅衛兵運動を、学生を都市から追い出すことで解決しようとした側面もあるから、本当の目的は全く異なるけど、表向きの理由は「農民の生活を学ぶ」ということだったから、受験勉強一辺倒の学生に社会を学ばせるという今回の「メリット」と共通点もないわけじゃない。

識者諸氏が言うように、「学生が社会を学んで生きる力を養う」のは悪い事じゃないさ。ただ、それこそが改革の目的じゃないだろうっていうのが気になる。東大の、あるいは何かしらよくわからない人たちの思惑こそが本来の理由で、「社会を学ぶ」っていうのは後付けじゃないのかしら。責任者たちは認めないだろうけど、なんだか欺瞞くさいんだな。

結構ギリギリの家庭環境の中で大学に来る学生は、今でもいるんだよね。すぐに働かなくちゃいけないような状態で、親権者に頭を下げて、大学へ行かせてもらうっていう苦学生が。

九大の学長が、「半年間何をしようかって考えただけで、ワクワクするんじゃないか」なんて言っちゃいけないんじゃないだろうか。ただでさえ、去年の震災でご両親を亡くした学生だっているわけだし、大学進学をあきらめるかどうかの瀬戸際にいる中高生は、決して極々少数ってわけじゃないはず。ボランティアなどの貢献する主体として学生を見るだけじゃなくて、被災した側にも多くの入学志願者がいるはずだっていう想像力を、もっと働かせていいんじゃないか。

秋入学自体が悪いというより、やはり拙速は慎むべきだと思う。

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