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2012年6月10日 - 2012年6月16日の1件の記事

2012年6月13日 (水)

ウイークポイント

私は内田樹氏のファンを公言しており、以前にもここで氏の考え方を紹介したことがある「内田樹氏の立ち位置など」2011年4月10日)。しかし、最近書かれたこの記事には、どうにも違和感がぬぐえない。

「大飯原発再稼働について」http://blogos.com/article/40961/ ( http://blog.tatsuru.com/2012/06/11_1431.php )

これについては、池田信夫氏の批判記事の方に、むしろ理があるように思えてしまう。

「定量的にリスクを語れない人々」http://blogos.com/article/41020/

もちろん、池田氏の理屈にも突っ込みどころはある。原子力のリスクも「定量的」に換算してはじめて意味をなすことはその通りだが、使用済み燃料の処理等、原子力が棚上げにしている問題は無視できない。そして、その問題が円満に解決される可能性はかなり低いと言わざるをえない。また、福島原発事故による低線量被曝による健康被害が「ほぼ無視できる」ものだとしても、それを実際に無視することには心理的抵抗が根強い。

「内田氏は「目の前のリスクを長期的なリスクよりも優先するのは間違いで、政府は長期的リスクを考えるべきだ」という。しかし福島第一原発事故では1人の健康被害も出ていないし、長期的にも出ないと予想されている。彼は知らないだろうが、EU委員会の調査によれば、長期的リスクがもっとも低いエネルギー源は原子力なのだ。」

ここで何度も語ったことだが、ヒステリックで潔癖症的な放射能忌避からは、多くの人々がなるべく早く脱出すべきだと思う。ただし、それは「放射線を怖がる必要がない」ということとは違う。福島の事故による健康被害が、「長期的にも出ないと予想」される程度に収まりそうだというのは結果論であって、「不幸中の幸い」が幾重にも重なったことが大きい。

リアルタイムで水素爆発の映像を眼にした私たちは、ずっと大きな影響を予感したし、予感が現実のものとなる可能性も小さくはなかった。もちろん、事故以前の私たち一般人の知識に偏りがあったことは事実であり、「被曝=死」というとらえ方は単純にすぎた。だが、「一歩間違えば危なかった」(重大な健康被害をおよぼす可能性もあった)というのは、核物理学者の多くにも共通する認識だろう。

やはり、今後も延々と原子力発電を利用し続けることは諦めざるをえないという点を、私たちはやはり思考の出発点に持つべきだと思う。重大な前科を持つ存在に対して、それが仮に一定程度の「安全」度を保持していても(同じ原発でも、タイプは幾つか分かれるし)、人々はもはや「安心」できない。一定の必要性があったとしても、広く「悪」と認識されたものは、徐々にフェードアウトして(淘汰されて)いくしかないのだと思う。

一方で、私たちの社会が原発に依存することを前提にして設計されてしまったことは事実であり、過去の原発行政に対する批判や、戦後の原発建設に対する反対運動が実らなかったことへの反省は当然としても、一気に「原発のない社会」を実現することがほぼ不可能であることも認めざるをえないと思うのだ。

「ソフトランディング」ということは、内田氏が様々な問題を論じる際にしばしば言及していたことであったように思う。できるだけ不幸になる人が少ないように、急激でない変化を促す思考法を提示するのが、内田氏の一貫したスタンスではなかったか。

今回の記事で、内田氏は「目の前のリスク」と「長期的リスク」を対立項として、前者を重視する再起動容認派を「中小企業の経営者」マインドだと批判するが、後者のみを重視して前者を蔑ろにする為政者も考え物だ。そういう理想主義者は、現実をソフトランディングさせるための方策を何一つ持たない。そして、その際に犠牲となるのは、多くの場合「社会的弱者」なのではなかろうか。

「木を見て森を見ず」なのも「夢を追って足元を見ない」のも、どちらが良いという話ではない。責任ある立場の人々は、「目の前のリスク」も「長期的リスク」も両方一定程度回避すべく努めねばならないはずだ。そう考えた時に、はじめて「定量的」なリスク判断が生きてくる。

どうも内田氏は原発に関する発言に限っては、何か大きなウイークポイントを抱えておられるように見える。いつものような意外性、「眼からウロコ」な認識の転換を迫る説得力が弱い。それはおそらく、氏が「反原発」という立場に「居着いて」しまっているからではないかという気がする。どうも、最近共著を出された中沢信一氏からの影響を感じさせるが、実のところはわからない。

いずれにしろ、「脱原発」と「反原発」は大きく異なる。前者はその実現までのスパンや方法において様々な在り方を含むし、どうやって「ソフトランディング」させるかを考える余地が残されている。一方、内田氏が後者の立場を選択し、そこを立脚点にして考察していること、言い換えれば「ポジショントーク」に終始されているのが残念でならない。

 

 

なお、本件と直接関係はないが、最近見つけた情報を数点。

まず、学習院大学の田崎晴明氏が無料で公開した電子書籍「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」。放射線について様々な立場がある中、正確を期しつつバランスを保った記述がすばらしい。できるだけ平易な説明を心がけておられるので、理系以外の人間にも読みやすい。http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/radbookbasic/

次に、Twitterで見つけた文書。東洋大学の関谷直也氏が、戦後日本の原発に対する「安全観」の移り変わりを論じた論文「「原子力の安全観」に関する社会心理学的分析」。いわゆる反原発運動の流れがわかりやすくまとめられており、また日本人の「安全観」(≒安心)に関する傾向を考える際に参考になる。http://www.disaster-info.jp/tohoku/anzenkan3.pdf

【追記】誤字を修正しました。(6/13  19:20)

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