« 2012年4月29日 - 2012年5月5日 | トップページ | 2012年5月20日 - 2012年5月26日 »

2012年5月13日 - 2012年5月19日の1件の記事

2012年5月19日 (土)

めんどくさい文系

以前から面白いと公言している『中国嫁日記』。その作者の井上純一さんが、漫画家のカラスヤサトシさんと公開対談している動画を見た(有料)。http://www.ustream.tv/recorded/21543088

P1000860

お二人とも、自他共に認める「結婚できるはずのない」キャラクターだったはずが、いつの間にか奥さんが出来ており、最近は結婚話を作品化してもいる。動画を見た後で、カラスヤさんの近作『結婚しないと思ってた――オタクがDQNな恋をした!』(秋田書店)を読んだのだけれど、大変おもしろかった。モテない男たちからは「裏切り者」扱いされたようだが、妙に共感してしまったのだ(私もリアルが充実してるわけじゃないんだけども)。

P1000857

カラスヤさんは、これまでずっとモテないことを作品のネタにしてきた経緯があって、いい歳をしてヒーローものや怪獣・怪人のフィギュア(ガシャポン)を自作のリングで「戦わせ」るのに熱中する様子が、大変微笑ましかった。そのほかにも、自分の失敗談をとりあげて、「ね? 僕ってダメでょう?」という後ろ向きの笑いを提供するのが彼のスタンスなわけだ。よかったら『カラスヤサトシ』1~6(講談社)をご覧頂きたい。いや、これも実際おもしろいのよ。

P1000859

基本的に、自分の「変さ」だとか「ズレ」とかを客観的に認識できているわけで、だからこそそれを笑いに変えて、漫画にすることも可能だったはずなのだけど、職業病というのか、自分の「ダメさ」を飯の種にしてしまったことで、わざとダメな行動をとりがちってこともあったように思う。いつの間にか、天然なのか作為的なのか、ご本人にも判別がつかない状態になっていたんじゃないだろうか。

「普通」の真人間になることへの抵抗感と憧れが、カラスヤさんの中には同居している。ギャグ漫画家だから、両者の間で引き裂かれる辛さを強調することはしないが、実際にしんどい思いをしていたはずだ。この感覚、実は共感を呼びやすい。太宰治の例を出すまでもなく、「自分はこんなに恥ずかしい奴です」という変な自己顕示欲って、一定数の男性には共有されていると思う。それをお涙頂戴的に語るか、ネタとして提供するかは人それぞれだけれども、いずれにしろ周囲の人間はちょっと微妙な反応をせざるをえない。

だって、その場で笑っちゃいけなそうだし、慰めるのも違うような気がするし、励ましても逆に落ち込ませてしまいそうだし、実に面倒なわけ。一方、本人は何故「ダメ」で「恥ずかしい」自分をアピールするかというと、これ、実は(無意識に)モテようとしているのです。本人からしてみると、ダメな自分こそが一番「可愛い」こともあるし、ここまでのダメさをアピールしても、なお嫌わない女子だったら安心ということもあるんじゃないかと思う。つまりは、自己愛と甘えなんですよ。どうしてわかるかというと、私自身そのケが大ありだから。

歌人の穂村弘さんのエッセイにも、カラスヤさんに近い雰囲気がある。日常の中でお伽噺めいたファンタジーに期待する様子、ものすごく子供っぽいこだわりを隠さないスタイルは、私なんかめちゃくちゃ共感してしまうのだが、健康な女子は普通ひくと思う。現代歌人らしい軽妙で透明な文体に魅了されるケースもあるとは思うのだけれど、現実の彼氏や夫がこんなだったらと想像してみてほしい。いやぁ、相当めんどくさいと思います。

ただ、見方を変えると、「ダメさの強調」=「自己愛の表現」であったとしても、それは感性が豊かってことと同義でもあって、このタイプの男性にとって、自己愛を完全否定されてはかなわないというか、場合によってはクリエイティブな仕事の拠り所が失われて、飯の食い上げになるケースもある。だから、生暖かく見守って欲しいというのが正直なところ。

この「生暖かく見守る」というのも、実はそんなに簡単じゃない。というのも、こういうめんどくさい文系男子を好きになってくれる女性は、一般的に同じ文化系の人が多いと思うのだけれど、文系同士だと「生暖かく」なりにくいように(経験上)思ったりする。細かいところが気になることもあるし、「自己愛」の裏返しで「同族嫌悪」につながってしまったりもする。それと、自分のことを棚に上げて相手にひいちゃったり……。あるいは、文系男女が強烈に惹かれ合うと、極端な場合は太宰のように「心中」騒ぎを起こしたりしかねない。強い自意識を互いに投影し合える関係というのも考え物だと思う。

穂村さんのエッセイに、こんな一節がある。

「或る立食パーティの席で、手にもったグラスのワインをズボンに零してしまったことがある。ああっと焦っていると、隣にいたひとが濡れたところにさっとハンカチを当ててくれた。私は恐縮しながらお礼を云った。その直後、彼女の手の中に手品のように二枚目のハンカチが現れた。そして、こことこことここにも、と云いながら、さらに丁寧に拭いてくれたのだった。/この連続攻撃に、私はすっかりびびってしまった。客観的にはそれは善意の行動以外のなにものでもない。そのひとは間違いなく親切だ。でも、私は何故かそこから逃げたい気持ちになった。二枚目のハンカチが出現したとき、生理的な恐怖のようなものを感じてしまったのだ。/むしろ私は私がワインを零した瞬間に「だっせー」と笑った女性の方に好感をもった。ハンカチ二枚を使った親切よりも「だっせー」の方が好感に繋がるのは理不尽だと思う。だが、経験的にそういうことは珍しくない。」
『もしもし、運命の人ですか。』(メディアファクトリー、2010)、70頁より。

P1000858

この「だっせー」の人の方に惹かれる気持ち、とてもよくわかる。実は、ハンカチの人ではなく、「だっせー」の人の方が「生暖かい」対応というわけなのだ。眼に見えた親切さはないけれど、自分の失敗をからっと受け流してくれている。からっとした応対に対しては、自分の失敗(文系男子はしばしばそれをアピールする)を笑って済ますことが可能で、自意識は陽気なベクトルを獲得する。逆に、過度に親切な対応をされると、ただでさえ過剰な自意識がオーバーヒートして、なんだかえらいことをしたような気になって後悔せざるをえなくなる。もはや失敗はネタではなく、反省すべき素材になってしまう。

同時に、「だっせー」の反応が、文系男子にとって意外性に富むものだということも高ポイントの理由だろう。自分なら絶対できないような反応こそは、日常における最高のファンタジーなのだ。

カラスヤさんが、元ヤンキー(?)っぽい女性と、出会ったその日に同棲を始めてしまったのも、なんだかわかるような気がしてくる。趣味は合わないし、自分と全く違う世界に住んでいるような女性が、これまで「きっと相性がいいに違いない」と思っていた文化系女子よりも「生暖かい」見守りが上手ということは、十分あり得る話だと思う。ダメさのアピールに対しては、そこそこ突き放された方が気持ちがよかったりもするし。……なんて、自分(たち)のめんどくささを改めようとせず、「見守ってね!」というスタンス、ほんとに難しいでしょう?(っていうか、腹立つでしょう?)

永遠の謎は、気っ風のいい「元ヤン」風女性が、めんどくさい文系男のどこに惚れるのかってことだ。私自身「めんどくさい文系」の一人として、一番興味があるのはその点だったりする。40歳を目前にして、恋愛や結婚に失敗しつづけてきた手前、穂村さんやカラスヤさんを見習いたいような、見習いたくないような(奥様が「元ヤン」風かどうかはわからないけど、穂村さんも42歳でご結婚された)……。

ちなみに、『嫁日記』の井上さんは、ちょっとタイプが違う。どうも、最初からモテようなんて思ってなかったみたい。冒頭で触れた動画を見ると分かるけど、本当に諦めていたようなのだ。「女が俺のこと好きになるわけねーじゃん。俺を嫌がらない女がいるなんて全く思ってなかった」というのは、おそらく本心じゃないかと思う。そんな井上さんが、カラスヤさんに「あなた、オタクじゃないでしょう?」というのはその通り(「オタク」と文系男子の間には共通点もあるが、超えられない溝がある)。私からすると、井上さんの域にはとうてい近づけない。完全に解脱していたという印象だ。

それでも、誰もが羨むようなお嫁さんをもらったのは事実で、そこには「中国嫁」月(ゆえ)さんのキャラクターもあるに違いないのだけれど、なにより、井上さんの努力というか、奥さんをつなぎ止めておく秘訣には、大いに学ぶべき点がありそうだ。

それを一言でいうと、「感謝」ってことになるんじゃないか。『中国嫁日記』が好評な一番の理由は、井上さんご本人がいう「自分の嫁のおもしろさ」に読者が共感できることだと思うが、この「おもしろい」という言葉には、井上さんのあらゆるプラスの感情が込められている(単に「可笑しい」という意味にとどまらない)。『嫁日記』全編を通底するのは、「おもしろさ」を提供し続けてくれる月さんに対する「感謝」であって、それが私たちの琴線に触れるんだろう。夫婦円満の秘訣、関係継続のキモは、そこにあるように思う。

*公開後、一部表現を訂正しました。(5/19, 7:30)

« 2012年4月29日 - 2012年5月5日 | トップページ | 2012年5月20日 - 2012年5月26日 »