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2012年1月1日 - 2012年1月7日の1件の記事

2012年1月 1日 (日)

大切なこと

あけましておめでとうございます。

この春大学を卒業される方にとっては、学生生活も残すところあと3ヶ月。4年間を顧みて、中には「こんなはずじゃなかった」という感想をお持ちの人もいるでしょう。

漫画やドラマや映画に描かれるような、キラキラしたキャンパスライフと引き比べて、自分の大学生活がほど遠いものであったように感じられても、そのことを残念に思わないでください。昔からそうですが、学生生活がキラキラしたものだというのは、おじさんやおばさんが過去を振り返った際の、かなり美化されたイメージにすぎません。実際は皆さんと大して変わらない、地味でみっともなくて、やたらにクヨクヨしてばかりの生活だったのが、後から考えるとキラキラしていたように思えるだけです。

逆にいえば、たとえば私たちから見たとき、あなたたちの現在の様子も、そこそこ輝いてみえたりするものです。「若いっていいなぁ」なんていう年長者の言葉が、皆さんには無責任な、若者を軽んじた感じに聞こえるかもしれませんが、年長者は自分の若かりし頃の(美化された)イメージを、勝手に若者に重ねているわけです。

就活に苦労された方は多いはずですし、周囲のおじさんやおばさんが若かった頃より、皆さんが社会に出て行く際の条件が厳しいことを、皆さんは皮膚感覚で察知してらっしゃるのではないでしょうか。だから「若いっていい」なんていう言葉が、他人事だから言える無責任なものに思えるのはいかんともし難いことです。

私たちの暮らす日本が、様々な問題に直面していること、とりわけ昨年春以降の災害が、ただでさえ不景気な日本社会に決定的な打撃を与えてしまったことは間違いありません。生まれる時代や場所によって、理不尽な不公平感を感じざるを得ないのは悔しいですよね。

ただ、自分の人生が台無しにされたなんて思わないで下さい。少なくとも、今これを読んでくださっているあなたは、中等以上の教育を(個人差はあるにしても)しっかりと受け、文字の読み書きができ、パソコンをはじめとするIT機器が使え、食べるご飯と着る服には困っていません。それが全世界規模で考えたときに、かなり幸運な状況であることも事実です。

文字の読み書きができること、IT機器を使いこなせることは、自分自身の生き方を考えることができることを意味します。自分にとって何が幸せかを考えることができます。

幸せの形は、人によっても異なりますし、成長とともに変化していきます。たとえば、4年前、皆さんが大学に入学した頃と比べてみてください。あの頃曖昧だったことの幾つかは、もう具体的に想像できるようになっているはずです。当時漠然と考えていた幸せの形を、皆さんは曲がりなりにもご自分の取捨選択に基づいて、実現する一歩手前に来ています。

推薦入学試験の面接で、受験生に時々お話しすることがあります。通常、受験生は大学入学後に学びたいことや卒業後の進路について、割合具体的な事柄を語ろうとします(高校で進路担当の先生に練習させられるようですね)。「貴学には○○○というコースがあり、私はそこで△△を学び、卒業後××という職業に就くための足がかりにするつもりです」といった具合に。

あまりにピンポイントで、自分が学ぶ内容を限定してしまっているのを、私はもったいないと考えてしまいます。そこで、ついつい「今の18歳のあなたより、2年後や3年後のあなたはずっと成長しているはずです。今は全く存在すら知らないような面白いことに大学で出会って、思いがけずその方向を追求してみたくなるかもしれない。だから、もちろん今興味があることを頑張るのはいいのだけど、いろいろキョロキョロしてみてほしい。それがあなたの成長を助けることになると思うんです」なんて言ってしまう。受験生からしたら余計なことですし、面接官がいう言葉として必ずしも相応しいかどうか微妙ではあるのですが。

大学入学時点での「将来の夢」なんて、なんだか絵に描いた餅というか、ディテールのはっきりしない、非現実的なイメージにすぎないと思うんです。それが4年たって、今の皆さんは相当細かなところまで思い描けるようになっているはずです。一定の妥協とか、あきらめとかを経た上で決めた進路でも、それはあなたが確かに成長したことを証明しています。そして、あなたの選んだ道が、とりあえずは幸せの形に直結していること(今後いろいろあって、仮に転職等を経験することになったとしても)は間違いないと思います。

年を重ねるごとに、幸せの形、イメージは、細部が明らかになっていきます。希望的観測というのは効きづらくなってきます。現実は今以上に地味で平凡なものに感じられるかもしれません。やがて中年に近づく頃、「自分の人生はこんな感じかもしれない」ということを、ふと悟ることになるでしょう。一種のあきらめということもできます。

幸せのイメージが固まってきて、その大半が「あきらめ」で埋め尽くされることを、皆さんは悲しいことと思うでしょうか。ただ、それは皆さんが日常的に感じている「不安」が減少していくことでもあります。おじさんたちは、若い頃の「不安」をすっかり忘れて、皆さんの選択肢の多さ、「可能性」を羨んでいるわけです。つまり、どっちもどっちですね。

ディテールが明らかになると、本当に大切なことが少しずつわかってきます。逆にいうと、「大切なこと」と「どうでもいいこと」の区別がつくようになってくるわけです。昔は細かいこと、重要でない細部にいちいち腹を立てていたのが、ちょっとやそっとでは動じなくなる。それはルーズになっていくことでもあるのですが、反面、「大切なこと」を守るためには重要なことです。

なぜかって、「どうでもいいこと」にこだわりすぎたために、「大切なこと」を守れなくなることが、世の中には大変に多いのです。優先順位と言い換えてもいいのですが、それよりもっとはっきりしています。2つか3つの「大切なこと」と、大量の「どうでもいいこと」があるようなイメージです。

反対に、「大切なこと」が脅かされるとなると、場合によっては命を賭けて闘ったりするかもしれません。つまりは、どんな年配のおじさんやおばさんにも、2つか3つの「地雷」があるということになるでしょうか。

こういった境地に至ることを「成熟」といいます。「成熟」した大人は、周りの人たちの「地雷」をあまり踏まないでいることができます。それは、自分にとっての「大切なこと」が脅かされない限りは、周囲の人の考えを許容し、意見のあまり合わない人々の存在も容認できるからです。人間の社会は、「成熟」した大人たちによって運営されることが前提になっているので、「未熟」な子供たちばかりが増えると、争いが絶えません。

実際、「成熟」しないまま年齢だけ重ねたようなおじさんやおじさんも見られますよね。あの人たちはかなり損をしていると思うんです。さきほど述べたように、「大切なこと」を守れずに、悲しい思いをすることが多いはずですから。もしかしたら、守れなかった経験が彼らを狭量にしていった可能性もありますが、やはり最初から「どうでもいいこと」と「大切なこと」の区別が曖昧だったのだと思います。

いい年をした大人が、いつも何かにつけ怒っているとしたら、可能性は3つです。1つは表面的なスタンス。これは、意識的にか無意識にかわかりませんが、正義の味方を気取っているのと同じです。2つめは、あまりに失敗や裏切りを経験しすぎて、人間不信になっている場合。どんな人も、一時的にこうなることはありますが、あまりに長期間続くようだと問題ですね。家族や友人などが、辛抱強くフォローしてあげられればいいのですが。そして3つめが「未熟」な場合です。どうもこのケースが一番多いのではないか、そして、昔よりもこの3番目の人たちは増えているのではないかという気がします。

大人も、「大切なこと」を守るためには闘わねばなりません。徹底的にケンカすることも時には必要です。ただ、その機会は大変に限られています。「地雷」が10個も20個もあるようでは、しょっちゅうケンカしていなくてはなりません。そもそも、心の中に隠れた1つの「地雷」は、いくつかの形で表面に現れるものです。自分の子供の穏やかな生育こそが「大切なこと」であれば、それを脅かすものは世の中に無数にあり、決定的な影響をおよぼすものに限っても、両手で数えきれるかどうか。ですから、端からはいろんなことに怒っているように見えても、場合によっては怒りの根(=「地雷」)は1つかもしれません。それならば仕方ないということもできましょう。でも、やはりある程度のことは許容できる度量は必要です。

偉そうなことを言っていますが、私もまだまだ「未熟」です。ただし、少なくとも10年前よりは丸くなったという自信はあります(20歳頃には、あらゆることに腹を立てていたような記がします)。たぶん、「成熟」は人生の大きな目標の1つで、それは自分の本当に「大切なこと」を守るためにも、周囲と共存するためにも必要だと思います。それを、私も貧弱な人生経験で学びましたし、これからも学んでいくことになるでしょう。

皆さんが今すぐに「成熟」しようとしても難しいでしょう。恋愛や結婚、これからのお仕事で経験値を積みながら、失敗したり成功したりを繰り返して、その都度ご自分の人生について、ご自分の幸福の形について考えて欲しいと思います。人生におけるすべての出来事は、人を「成熟」に導くためのイベントです。失敗経験から学び、成功経験を精査し、あなたにとって「大切なこと」を追求して下さい。

何が「大切なこと」なのかは人によって千差万別ですし、本当に「大切なこと」は口に出して言えない場合が多いように思います。他人に理路整然と語れるようなことは、まだ心の表層レベルの「大切」さです。慌てなくても大丈夫。あなたも「おじさん」や「おばさん」と呼ばれるようになる頃には、わかってくるはずですから。ただし、「学び」(学校での「勉強」と完全に同じものではありません)を今後も続けてくれたらの話ですけれど。

あなたの人生を実り多いものにするためにも、「成熟」につながる「学び」を続けて下さい。あと、確かなのは、「大切なことは2つか3つ」だということ。それをどうか忘れずに。

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