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2012年9月22日 (土)

日中関係に関して(雑感)

9月10日の尖閣諸島(中国名:釣魚島)国有化以降、中国各地で反日デモが発生し、その一部が暴徒化した。デモの背景について正確な情報を持つ人はほとんどおらず、今後の展開も予断を許さない。私自身、何かしらはっきりしたことを指摘できるわけではなく、ここに記す内容についても後に修正せざるをえなくなるかもしれない。ただ、両国関係が国交回復後40年で最大の緊張をむかえていることは確かなようで、今考えられることをメモ程度にでも残しておくことは無意味でないと思う。

まず言っておくべきこととして、今回の問題は両国とも「譲歩」は難しい。つまり、領有権が日中のどちらにあるか、主張の国際法上の正当性を確認したとして、それで場が丸く収まることはないということである。

竹島問題の時のように、国際司法裁判所提訴という手もないわけではない。日本からすれば「存在しない」はずの領土問題を認めることになるが、それでも仮に中国が裁判を受けて立つなら、結果が日本有利に進む可能性は高い。だが、これは半ば禁じ手として、最後の手段と考えておくべきだろう。

なぜか? 中国政府のあの強硬な態度の裏には、指導部が無理に無理を重ねていること、彼らが「困っている」ことがある。「困っている」ことを表に出せないほど困っている。中国国内に山積する問題の多さ、難しさは、日本の比ではない。民族問題、格差問題、地方幹部の腐敗等々、いずれも円満な解決がほぼ不可能でありながら、中国政府は解決が可能であるという顔をしつづけている。そうせざるを得ないのである。

民族問題は、しばしばチベットやウイグルで矛盾が表面化するが、日本人にはなかなか想像しづらい。人口の90%以上を漢族が占めているとはいえ、自治区や自治州には、反漢族感情が根強く残っている場合(チベットやウイグル以外にも、たとえば内モンゴルなど)がある。舵取りを一歩間違えば、分離独立をめざした運動が激化しかねない。結果は、中央政府の圧勝(完全鎮圧)で終わるとしても、一種の「内戦」が発生したとすれば、中国の政治状況は流動化する。

格差問題も深刻である。鄧小平の「先富論」、つまりは市場経済を導入して先に豊かになる者を容認し、最終的に全国民の豊かさを実現するという政策(トリクルダウン)が実施されて以降、一種の悪平等、完全な平等から脱却する中で、富裕層になり損なった人々の不満はずっと存在した。ただし、「明日は今日より豊かになる」という見込みが確かなら、最低限度の生活が成り立っていれば今は我慢できるかもしれない。だが、格差は固定化しつつある。一発逆転して金持ちになれるという「夢」を見ることが難しくなっている。

格差の問題は、官僚の腐敗と結びつく。現状で、一番「いい思い」をしているのは共産党員という状況がある(少なくとも、多くの人はそう思っている)。エリートの多くは、共産主義への傾倒の有無は差し置いて、党員になりたがる。その最大の目的は、経済力の維持あるいは向上である(つまりは「保険」として党員になる)。一方で、「夢」を見られない人々は党員を妬む。その妬みは、常に政権自体へと向いている。

共産党政権も一枚岩ではない。水面下では激烈な権力闘争が行われているらしい。まもなく行われる指導者の交代(胡錦濤から習近平へ)に際しても、様々な噂がつきまとう。さらに、軍の力がそこに影を落とす。大国として軍事力を拡大する一方で、ここしばらく目立った戦闘は行われておらず、人民解放軍は存在感を示す機会をうかがっている。好戦的な軍の幹部が、政権中枢への発言力を増していることも指摘されている。

強大な軍事力は、「強い中国」のイメージに一役買っている。GDPで日本を抜き、世界第2位の経済大国になり、オリンピックと万博を開催することで、中国は自信を強めた。かねてから、「日本は戦争に負けたくせに金持ちになった」鼻持ちならない国というイメージがあった。経済戦争でようやく日本に勝利したと考える中国人は少なくない。だから、今度こそ本当の戦争で完膚無きまでにやっつけてしまえ、と考える人も少数ながら存在する(彼ら自身は、「豊かさ」の恩恵に十分に浴しているとはいえないのだけれど)。

自分自身にこれといって誇るところのない庶民は、自らを国家と同一化すること、「強い我が国」を誇ることで、個人の自信のなさを忘却する(こういった傾向はどの国にもある)。だからこそ、「我が国は強くあらねばならない」と考える人々は一定数いる。多くの場合、これがナショナリズムの源泉であり、国家主義者に占める貧困層あるいは現状不満組の割合は高い。

中国の人々は、大多数が尖閣諸島(釣魚島)を中国の領土だと信じている。日本人側からみれば首をかしげる状況ではあるが、それは事実である。「釣魚島是中国的!」(釣魚島は中国のものだ!)ということに疑問を差し挟むことはタブーである以前に、彼らにとっては当たり前のことなのだ。そうした理解が覆される可能性は、ほぼ無いといっていい。仮に無理筋な主張であっても、10億以上の人々がそれをかたく信じていることは大きい。

中央政治局入りするような政治家は、実は現実感覚に優れている。そうでなくては激しい権力闘争を勝ち抜き、国家の難しい舵取りはできない。現実的な政治家が、周辺諸国との戦争を回避する努力をするのは当たり前だが、自国がより強く、勇ましくあって欲しいと考える人々は一定数いる。その期待に応える(あるいは応えているように見せかける)必要がある。そうしなければ、様々な不満が政府に向かう。仮に中国政府が、尖閣の領有権をめぐって日本に譲歩しようものなら、それは政府に対する格好の批判材料になる。

中国の場合は、地方政府の選挙は限定的に行われているが、基本的に非党員(一般民衆)の参政権は存在しない。つまり、国民が意思表示する手段が形式的にもない。また、集会結社の自由、表現の自由は制限されている。ただし、ネットの発達によって、PCや携帯を使用すれば誰もが手軽に意思表示できるようになった。もっとも、ネットの検閲は国家主導でかなり厳格に行われており、ブログやミニブログでの書き込みも数時間で削除されることがある。かといって、情報の伝達自体を完全に阻むことはできない。結果として、政府も国民の不満を無視し続けるわけにはいかない。

ここで、共産党政権がなくなればいいという考えは短絡にすぎる。中国の一党独裁体制が倫理的に正しいかどうかは疑問であり、少なくとも今後一層の民主化を促進する必要はあるにしても、現状で中国共産党に代わる政権担当者は存在しない。民主党派は「衛星政党」として、共産党政権を脅かさないという条件下で細々と活動しているのが実状である。もしも何らかのきっかけにより共産党政権が倒れたならば、各地方政権の群雄割拠(彼らもまた共産党員だが)と、軍の暴走、少数民族の独立運動が一気に起こる可能性がある。日本のように、単なる政権交代で済むはずはない。あるいは長期にわたって無政府状態が出来し、東アジアに計り知れない混乱が訪れることも考えられよう。

つまり、日本としても、当面の間共産党政権には存続してもらう方が国益に叶う。なんとかうまく舵を取って、少しでもマシな状態へとソフトランディングさせるよう努力してもらう必要がある。だからといって「とばっちり」は勘弁して欲しいという思いは否定できないが、現状で政権の転覆はあってはならない。

よく言われるように、反日を名目にする限りにおいて、デモは「愛国心の発露」として認められることがある(ほかの名目でデモを行うことは基本的に容認されず、弾圧の対象ともなる)。どういうわけか、それがここ数年の既成事実となっている。ところで、中国の反日デモについて、よく「彼らは愛国を口にするが、実際は政府批判だ」という分析が紹介される。これは一面正しく、一面においては間違っている。

少なくとも今回のデモにおいて、「日本けしからん!」という思いは大多数の参加者に共有されていたと考えるべきだろう。様々な不満、妬みといった負の感情が、彼らをデモへ駆り立て、さらには一部暴徒化させる原動力となっているとしても、「反日」が主目的であったことは確かだと思うのだ。特に非富裕層、非エリートにとって、国家は自らのアイデンティティそのもので、国土は自らの身体そのものという場合がある。それが蔑ろにされたと感じた中国人は少なくなかったはずである。

大規模デモが諸刃の剣であることは間違いない。愛国心の発露たる反日デモは容認せざるをえないし、これが日本に対するわかりやすいプレッシャーとして有効であることも確かだが、明らかな政府批判に転化する前に止めなくてはならない。今回のデモでは毛沢東の肖像画が目立ったが、これは現政権に対する間接的な当てつけであり、格差の撤廃、さらには再度の革命を求める表現とみることができる。

なお、今回は石原都知事が尖閣購入を言い出した時点で、中国政府はきわめて敏感に反応した。中国には石原慎太郎に対する強いアレルギーがある。そもそも日中戦争における日本軍の侵攻、「侵略」にしてからが、「軍部の悪しき勢力」の罪であり、表向き「日本の一般国民には罪はない」ということになっている(これは国交回復に際して「友好」を演出するための力業でもあった)。日中で何らかの問題が出来し、中国側が日本にクレームを発する際も、「一部の右翼勢力」(あるいは、「アメリカ帝国主義」とその手先の「日本右翼」)に対する糾弾という形を取る。その「右翼勢力」の象徴、最大の親玉が、ほかならぬ石原都知事ということになっているのである。

実際、私は8月中旬に2週間ほど中国に滞在したが、その際も尖閣に関する報道はかなり激しいものだった。そこでは、当然のごとく石原氏が悪玉として紹介される。その是非は置いておいて、中国側としては彼を「悪」としてとり上げることで、日本政府を直接非難することを避けていたとみることもできる。その心は、これは想像でしかないが「今は微妙な時期だから、騒ぎを起こしてくれるな」ということではなかったか。

10月に指導者の交代をひかえた微妙な時期である。とりあえずは無事に交代を済ますまで、騒ぎは勘弁して欲しいという心情は理解できよう。逆にいうと、石原氏はそれをわかった上で、中国政府の痛い所をあえて突いたのだと思う。彼のそうした戦国武将のような勘は超一流だ。ただし、それが国益に叶うかどうかは別問題である。

野田総理が尖閣の国有化に踏み切ったこと、それ自体は、「この案件を石原都知事の手から外し、安定的状況にもっていく」手段として有効であるはずだった。ただし、それはもう2ヶ月ほどの時間稼ぎをしつつ、中国外交部との非公式な打ち合わせを経た上で行ってもよかった(民主党政権の寿命とも関わるけれど)。

また、本来なら、石原慎太郎というわかりやすい「ヒール」を利用して、「自分たちも迷惑してるんだ」「自分は彼ら(右翼)とは違う」というアピールも必要だった。「国有化」の内実、それが指す内容を、中国側に打診しておく必要もあった。それが、胡錦濤との直接の「立ち話」を経た直後に国有化の決定に踏み切ってしまった。野田総理は胡錦濤のメンツを完全につぶした上、先方からしたら石原都知事と結託した形になる。

尖閣諸島が「日本固有の領土」という主張自体はいい。また、「日本の領土のことを日本人が決めて何が悪い」という主張もわからないではない。しかし、中国側(特に共産党中央)からすると、最悪のタイミングでの「国有化」ということになる。この辺りのことを、外務省および現政権ブレーンの誰も考えなかったようなのが不思議でならない。

解放軍の一部の跳ねっ返りを除き、本気で日本との戦争を望んでいる国家級の政治家はほぼいないと考えていいと思う。しかし、不測の事態が起きること、尖閣を巡って血が流れることが絶対にないとはいえない。それだけは何としても回避する必要がある。注意深く、あらゆる手を講じて流血沙汰を避け続けることを「弱腰」などと非難するのはナンセンスだ。日中の再戦は、一部に溜飲を下げる不心得者はいるかもしれないが、結果的に誰をも幸福にしない。それは断言していいと思う。

以前、どこかで書いたが、一般庶民間における日中の対立感情は、互いに相手をデフォルメし、記号化してとらえていることと関係がある。記号化された「中国人」「日本人」には顔が無く、単純に嫌な奴ということになるかもしれない。

生身の日本人と付き合ったことのない中国人にとって、日本人といえば歴史ドラマに登場する残酷な日本軍人であり、自己主張せず何を考えているかわからないが、隙あれば中国へ攻め込もうと機会をうかがっているというイメージであろうか。中国人の友人をもたない日本人にとっても、中国人のイメージはよろしくないようだ。とりわけ今回のような反日デモが起こると、「なんだかわからないが怖い」という印象が植え付けられる。

国交回復から40年たち、民間の交流はそれなりに行われてきたが、お互いのイメージはほとんど戦中と変わっていないのではないか。そうだとしたら、あまりに悲しい。最低5~6人の中国人あるいは日本人と知り合い、日常的に付き合う機会に恵まれれば、相手についてのステレオタイプは簡単に覆ってしまうはずなのだ。当然、どこの国民にもいわゆるペテン師の類はおり、不愉快な思いをする可能性もあるが、そうでない中国人あるいは日本人が確実に存在すること、愛すべき、尊敬できる相手の存在を認めざるをえなくなる。

政治の文脈でのみ他国を見ることは、この上なく重要な経験を遠ざけることになる(森を見て木を見ないことになる)。今や多数派ではないにしても、親日派の中国人と親中派の日本人は確かにいる。それは別に日本人が中国の政治体制を認めるとか、中国人が日本のタカ派政治家を容認するとかいうことではない。多くの場合、好ましい相手と知り合い、カルチャーギャップを超えて付き合うことが苦にならず、心の温もる体験をしたことによる。重要なのは、やはり個人的なつながりなのだ。

国を跨いで個人的なつながりが生まれると、「○○人」という区分は後景に退く。国籍よりも、個人名で意識することが多くなる(いい奴も、嫌な奴も)。そうすると、「日本人は~~」「中国人は~~」という言い方ができなくなる。そういう段階に足を踏み入れてはじめて国際交流なのだが、両国とも、ほんの限られた範囲内でしか行われていないようだ。しかし、いざ不測の事態が起こった場合に、事態の悪化を食い止める(最小化する)のは民間の、個人的なネットワークではないかと思う。

領土問題ともなると、国としては譲歩しづらい。特に尖閣問題では、中国は一歩も引けないし、日本も国有化してしまった手前引くに引けない。日中の関係は、少なくとも今後しばらく緊張が続くだろう。時間の経過を見据えつつ、心理戦を受けて立つ必要がある。その際に、身近な個人として愛すべき中国人を知っていれば、偏狭なナショナリズムに絡め取られることはない。そして、中国の政府が強圧的な主張をする必然性(なぜあのような言い方をするか)について、肯定する必要は全くないが、頭の隅に置いておいてもいい。心理戦においては、挑発に乗って怒りに我を忘れた方が負けだ(中国の庶民には煽られて、怒っている人もいるが、指導部はこの上なく冷静に次の一手を考えている)。

繰り返しになるが、何としても流血沙汰と武力衝突は回避せねばならない。現状をすでに「戦争状態」と呼ぶ人もいるようだが、外交上の心理戦と武力による戦闘は大きく一線を画す。超えてはならない一線を越えることを望む者もいようが、彼を「愛国者」と呼ぶことはできまい。

【9/30付記】次の国家主席と目されている習近平氏の名前を「周近平」と誤記していたのをご指摘いただいた(本文はすでに訂正済み)。

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