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2011年6月12日 - 2011年6月18日の1件の記事

2011年6月13日 (月)

アラフォーのメンタリティ(文系研究者の場合)

40歳にはまだ間があるけれど、私もアラウンド・フォーティであることには変わりない。

本来なら脂ののった働き盛りであるはずなのだが、「不惑」(四十にして惑わず)というような心境とはほど遠く、働く「量」は増えても、地に足のついた働きぶりにはなっていないような気がする。私だけでなく、同世代の人々に多く見られる感覚ではないだろうか。

旧時代的な、ある意味で理想的な人生設計に照らせば、家庭では子供も物心ついて、手はかからなくなりつつあり(一方で金はかかる)、親は退職して悠々自適(退職金や年金で金には困らず、持病はあっても入院するほどではない)、会社では中間管理職として、ややこしい問題を処理せねばならないが、自分が将来つくべきポストも明らかになりつつあって、とりあえず大失態をおかさないよう、目の前の案件を粛々と処理することに気を配ればいい、そんな年代であったかもしれない。

孔子の時代がそうであったわけではないにしろ、安定した時代にあっては、40歳を「不惑」と呼ぶのは実際にふさわしかったことだろう。日本でも60年代から80年代までの30年間に40歳を迎えた男性会社員の大半には、そういう人生観が許されていたと言うことができよう。一方で、現在のアラフォーにとって、旧時代的で「理想的」な人生設計は難しくなっている。家庭も職場も、状況は流動的だし、将来の予測が当てにならないというのは常識だ。

もちろん、安定した時代が、人類の歴史できわめて例外的なものであることも事実だ。近代以降を概観しても、およそ60~70年ごとに動乱期が訪れており、一度動乱期に突入すれば、10年前後の非安定期を経験することになる。その意味で言えば、戦後の安定期がとりわけ希有なものであったことが伺える。

1960年代の40歳の一部は、兵士としての従軍体験を持つ。しかしその後の世代は、例外的に大変動を経験せずに暮らすことができた。彼らのうちの一定数は、20代には社会改革に情熱を燃やし、学生運動に身を投じたが、政治家や社会運動家になった人々を除いて、多くは40歳になる前に「不惑」のメンタリティを手にすることになった。

およそ世代間の影響関係を考える時、一般に20歳以上の年齢差が重要になる。10歳年上は「先輩」ではあり得ても、なかなか人生の師にはなり得ない。10年の差は、多少の文化的ギャップを感じることはあっても、半分同世代であって、しばしば共通の空気を媒介した非言語的コミュニケーションが可能である。一方で、20年以上の差は断絶を伴い、一方が意図的な接近を試みない限り、相手の意図をつかむことは難しい。だからこそ、その難しい相手は「師」となりうるのである。

現在のアラフォーの「師」は、60歳以上の人々であり、彼らの多くは1980年代末までに「不惑」を迎えた人々である。彼らのパーソナリティには大きな個体差を認めうるが、人類史上まれにみる安定的成長期に人格を形成したという事実が、彼らのメンタリティに一定の傾向性を与えていることは確かであろう。

経済成長モデルでの社会認識、左翼的社会改造へのこだわり(賛同・否定ともに)、アメリカへのこだわり(憧憬・批判ともに)、年功序列と終身雇用を前提とした生活、多数派への執着……これらは、「日本的社会主義」とでもいうべき構造を背景とした「消費資本主義」によって醸成されたメンタリティということができそうである。

私は、団塊以上世代のメンタリティを、ある意味でとても愛している。20代以降ずっと彼らの中で揉まれてきたし、彼らとしきりに酒を飲んだ。彼らの多くは議論好きだから、酒が入ると論争が始まる。なんだか私が「若者代表」のようになって、自分自身の「リアル」を主張すると、論争の双方が連合して私を論破しようとする。私の方は「この点は納得できる」けれど「その点は受け入れられない」というように、全肯定や全否定をせずに、個々の論点を弁別して対抗する。やがて、終電も近づいた頃には、「お前はおもしろい奴だ」ということになって、握手をしてお開きになる。

いや、面倒くさいっていえば、確かにその通りなのだが、それ以上に楽しかった。いい年したオジさんを泣かしちゃったこともあるし、逆に泣かされたこともある。そうしたことを繰り返す中で、私はいろいろ学ばせてもらった。人を動かす(行動に駆り立てる)ために必要なこと、合従連衡の危険性、根回しの必要性、「革命」について、「真理」について……。

今でも彼ら「師」と酒を飲むのは、私にとって大好きな時間だ。しかし、時として苦しくなる。彼らとの議論が苦痛という意味ではなく、彼らの現状認識と私の「リアル」に乖離があるからでもなく、限界をひしひしと感じてしまうからだ。

彼らが正しいか、私が正しいか、あるいは彼らと私の認識のそれぞれ一部が正しいのなら、議論は生産的だ。意見の対立も、それ自体が現状を把握する一助になる。だが、どうもそうなっていない。以前であれば、職場の問題、学問の話から、日本社会や国際関係まで、話題は縦横無尽に広がったし、その場での結論は、しばしば今考えられる範囲内で相応の妥当性を持っているように感じられた。それが錯覚であった可能性もあるわけだが、「師」たちの認識を私なりに咀嚼して得られた認識の射程が、今ではかなり短くなってしまっている。

さらに悲しいのは、彼らが一定水準以上の「知」の体現者であること。メディアへの露出はないし、必ずしも積極的に論考を発表しているわけではないにせよ、一人一人が小さな一分野においては他の追随を許さない認識を持った研究者であり、自らの知識を他分野と関連づけて検証する癖も身につけている。文系の「学者」として、少なくとも三流以下ではない人が大半なのだ。彼らとの議論が、単にマニアックな学術上の問題点や、職場の組織論までの射程しか持ちえなくなっていることが、私は苦しいのである。

私が、とても「不惑」になれないという理由は、以上のようにかなり特殊であって、同世代の同業者と比べても、あまり一般的ではないかもしれない。毎週のように職場の分野違いの教員と飲んだり、他大学の同分野の大先輩と飲んだりしているのは、相当めずらしいだろうから。これ自体が、おそらくは団塊以上の世代に親和的な行動パターンであり、そこで育ってしまった私が「アラフォーのメンタリティ」を語るのは筋違いということにもなろう。

40代以下の「若い世代」の「知」を総合することによって、全く新しい認識を形成することができるかどうかについて、私はずっと悲観的であった。「師」の世代の認識を批判的に取り込み、咀嚼しなおすことで見えてきたことを、私は自身の「学術資産」としてきた。その消費期限は、純「学術的」にはまだ終わっていないと思われるが、現実社会との関連においては大変怪しくなっている。

理由として考えられることとして、まずは「師」の限界が挙げられる。彼らとてそれを自覚しており、だからこそ私などとの議論を面白がってくれるのだが、彼らが例外的に危機を知らない世代であることのメリットとデメリットはそれぞれ大きい。私たちにとって有益なのは、「師の師」たちの知見に立ち返ることである。

「師」たちは「師の師」たちの知見を批判的に摂取することで自己を確立したが、「師」たちは危機対応という面を半ば意図的に考慮の外に置いた。様々な危機をどう乗り越えるかという一点においては、70歳代以下の人々は必ずしも得意としていない。それを考慮の外に置くということは、あるいは「師の師」たち(戦後第一世代)の願いでもあったろう。逆に言えば、「師の師」たちの内の良心派は、自らのサヴァイバル術とイノベーティブな精神を封印したのであり、彼らにとって危機対応は自家薬籠中のものであった。戦後第一世代の術と精神が、現在有効であるかは別問題だが、少なくとも参照には値する。

もう一つ、近現代の各国文学や思想を考察の対象にしている私たちにとって、参照すべきものは最も身近なところにある。私たちは、研究対象に「学ぶ」という姿勢を放棄し、客観的な態度こそを良しとしてきた。この態度を改める必要があろう。

日本の外国文学研究者にとって、研究対象(作家)が直面していた問題は、自分自身の問題と直接関係のない、いわば「他人事」として、突き放して検討するべきものであった。なぜそれを研究するかといえば、単に「明らかにされていない事項を明らかにする」ことによって、より完璧な「伝記」、「文学史」、「思想史」、「文化史」を作ることへの寄与を目的としていたのである。

そうした研究の存在自体を否定するわけではないが、アラフォー世代の研究者は、その枠内に止まることに耐えられなくなるのではないだろうか。学位の取得や、専任教員の職を得ることが若手研究者のとりあえずの目的であり、アラサーまではそのためにがむしゃらにならざるをえない。ただし、幸運にして職を得た後は、「研究の社会的意義」を自覚する必要がある。

バブル崩壊前後に大学に入り、「失われた十年」と呼ばれた時期に本格的な研究を始めた私たちだが、実のところ、経済成長の余燼に浴する中で、文系研究者が本来担うはずの責務から逃れてきたということができる。その意味では、上の世代と同じ研究スタイルが許された最後の世代ということになるかもしれない。大学の専任職は得難く、博士号を持ったワーキングプアが多数存在するとはいえ、研究スタイル自体は団塊世代の確立した路線をそのまま取り入れてきたと言っていい。

今後、大量生産と大量消費に基づいた日本の経済成長はありえないと考えていいだろう。もっとも、各企業は一層の業績上昇を目指さざるをえず、日本全体としても成長を目指すことでしか、相対的安定は望めない。また、技術開発や新たなイノベーションに対する投資を促進し、技術立国としての体面を保持する努力も重要ではある。しかし、そういった個々の、技術論的微調整を繰り返すのと同時進行で、本質的な生き方の転換を進める段階にきている。

日本人の生き方をラディカルに、リゴリスティックに転換させることを求めても、多くの人は賛同できまい。状況に迫られながら(エネルギー政策の転換、放射能被害の影響など)、全国民が最低限以上の文化的で豊かな生活を送れるような落ち着き先を探り、そこへ向けて、ソフトランディングさせる必要がある。そうした「そもそも論」を厭わない、当事者意識を持った文系研究者の出現に期待したいのだ。

「出現を期待したい」というのは、英雄待望論とは真逆であって、地道で地味な若手~中堅の研究者が認識を転換することを求めているに過ぎない。勇ましい主張で読者を煽動すべきではないし、軽々しく絶望を口にすべきでもない。私たちが日常的に取り組んでいる研究を、現在の日本社会と関連させる癖をつけるだけでいい。この時、研究自体は緻密で実証的でなくてはならず、粗っぽい放言は厳に慎むべきであろう。

既存の政治や社会運動の枠組みとも距離を置きつつ、自らの研究対象と格闘しながら、私たち以下の世代における「あり得べき生き方」を探ること、こうしたスタンスを、私はこれからのアラフォー文系研究者のメンタリティとして提唱したい。

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