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2011年3月27日 - 2011年4月2日の6件の記事

2011年4月 2日 (土)

『戦後日本人の中国像』

著名な編集者でもある馬場公彦氏の博士論文。本文だけで600ページを超える大著で、まだ4分の1ほどしか読み進んでいないが、まれに見る良書の予感!

P1000251

序章の冒頭から、少しだけ引用させていただきたい。

「国交が正常化してから、日本人の中国像は、中国という客観的対象にまつわる事実を確定するための実証のみによって構成され、中国をどう見たか、なぜそのように見たかという、発話者自身の立ち位置に対する自問を迫るような問いは立てられることがなくなった。日本の中国研究は中国の客観的現実についての知識の集積を意味するようになり、中国になぜ関わるのかという動機、どうしてそのように見るのかという心情や思想は、研究の夾雑物・阻害物として排除されるようになった。」(本書17頁)

編集者として、多くの中国研究者と関わってこられた実感が、ここに表れているように思われる。研究者自身の立ち位置を問う姿勢の欠如(それが言い過ぎなら、客観性という鎖に呪縛されていると言い換えてもいい)に対して、馬場氏は不満をお持ちなのだと思う。

中国と付き合う者にとって「中国になぜ関わるのか」は、一種のタブーというか、問うてはならない問いとなっている。それを語る者がいれば、多くの人は「お前のそんな話など聞きたくもない」といった態度をとるだろう。

私たちの上の世代においては、かつて現代中国(「新中国」)への関心と研究者の政治的傾向性が、あまりに強く結びついていた。その弊害への自覚がある時点に芽生え、できるだけニュートラルな、非政治的な言説の構築が進んだのだと想像する。私たちは先行世代の実証へのこだわり、「中国の客観的現実についての知識の集積」こそを研究スタイルのモデルとして、無批判に取り入れてきたと言えるかもしれない。

ただし、現代文学研究の「実証派」の重鎮であった故・丸山昇氏は、かつてこう述べたことがある。

「一人の文学者を研究し、それに学ぼうとする以上、その人の特有の歩み方を、徹底的に明らかにせねば、つまり言い代えれば、その人の一部分とだけでなく全体と自分の全体とが対決させられるのでなければ、意味のないものになってしまう。」(『丸山昇遺文集』第1巻、66頁)

「すぐれた文学研究とは、究極に於て作家のそのような生き方を明らかにし、読者が作家にまなぶのを助けるためのものであると思う。生き方と切り離して手法だけを扱うようなものでは駄目なのである。そういう文学研究であるためには、先ず研究するもの自身が、何かその作家に学ぶ問題を持っていなければならない。」(同上、191頁)

いずれも丸山氏20代の頃の文章だが、こうした姿勢は晩年まで一貫していたと思う。つまり、「実証」が大きな特徴と見なされた丸山氏は、自らの「問題」と向き合うことをやめなかった。逆に言うなら、自らの問題と突き合わせて作家を研究するためにこそ、徹底的な「実証」が必要だったのである。丸山氏にとって「実証」は、学術的バランスを保持するための分銅だったといえよう。

先祖返りのような感じに聞こえるかもしれないが、私たちは「夾雑物・阻害物として排除」された自らの問題に、再び向き合う必要にかられているのではないか。当然、研究対象を自身の問題に引きつけて、恣意的な解釈を提示するのは避けねばなるまい。すぐれたバランス感覚が求められる。

本書(『戦後日本人の中国像』)は、1945~72年に、日本の総合雑誌に載った中国論を網羅的に扱い、日本の知識人の中国観の変遷をたどったものである。なぜこの時期かについては、著者によって明確な理由づけがされているが、それとは別に日本人が自らの問題と重ね合わせて中国を見た期間でもあり、現在の中国研究とは毛色の違った研究スタイルが主流であったことも事実であろう。

「戦後」の中国研究を、その功罪も含めて私たちが通観することが、今まさに求められている。

(2010年9月刊、新曜社、6800円)

テレビを消してみる

昨日から新年度。例年なら、春休み中に狂ってしまった体内時計を合わせて、仕事モードに切り替える時だ。恥ずかしい話だが、長期休暇中は30時間起きて10時間眠るような生活になってしまう。ものを書いたり、あれこれ考えたりするには都合がいいのだが、そのままでは社会と不適合をおこす。定期的に針の進度を調整しなければならない。それが、今年は震災の影響で、始業が半月ほど延期された。不本意ながら、時差ぼけを治す時間をいただくことになった。

早く学校が始まって、語学の授業で大声をはりあげれば(年度初めは新入生向けの発音指導があるので)、もやもやした気分の一半は吹き飛んでしまうはず。待ち遠しいが、仕方ない。いっそ数週間中断したままの論文に没入しようと思ったが、1時間もせずに集中力が途切れてしまう。これはまずい徴候。精神が浮き足立っている証拠だ。

久しぶりに美術館でものぞき、何か美味い物でも食べて、時差ぼけと精神安定の両方を試みることを考えたが、買ったまま読んでいない本が100冊近く積み重なっている。これを消化するのが先だと思った。軽いものから小難しいものまで、手当たり次第に読みはじめる。いつもつけっぱなしのテレビを消してみる。

自宅にいるとき、睡眠時を除いて、普段は何をしていてもテレビを消したことがない。音は小さくし、視界の隅に画面が入るようにして、画面の動きを意識の端っこにおいたまま何かをするのが、当たり前になっていた。思えば学生時代、一人暮らしを始めて以降、ずっと習慣になっている。

テレビの画面が真っ黒だということが、最初はどうにも落ち着かない。外に出て、電車の中や喫茶店で本を読めば全く問題ないのだが、自宅でテレビがついていないと違和感が勝ってしまう。あるべきものがないという感じなのである。それでも我慢してみる。今集中できない理由が、どうにもテレビにあるような気がするからだ。いつもなら安定剤のような役割をするはずのテレビが、逆に気持ちの肌理を逆立てるような気がした。

部屋の中が変に薄暗く、自分以外の何も動かない景色が、なんともいえず寂しい。また、首都圏とはいえ、郊外の住宅地は非常に静かだ。特に夜になると、ほとんど何の物音もしない。静かすぎて、聞こえるか聞こえないかのレベルでも、テレビの音がないことが奇妙に思える。

プライバシーが保護された空間にいて、閑静な環境を「寂しい」などと、それこそ贅沢というものである。避難所暮らしの方々のことを思えば、こんなことを思うこと自体、KYというものだろう。その通り、まったく仰るとおり。それに、今のところ夜間の輪番停電からも免れているので、電灯もつかない夜を体験していない。テレビを消したくらいでガタガタいう自分が、ちゃんちゃらおかしい。ビンタのひとつも食らわしたくなる。

およそ6時間ほど、我慢して活字を追ううちに、頭がすっきりしてきた。ずっと気になっていた黒い画面が、ある瞬間を境に景色に溶けていったように思う(はっきり「いつ」だったかは意識に残っていないけれど)。しかし、いつものように活字を追いながら連想が次から次へと進んで、ちょっとした興奮状態になることがない。頭の中がはっきりしているのに、静かなのだ。だから、よく言われるように、テレビが想像力を奪っているというのは、私の場合ちょっと違うようだ。音や画像が意識の隅っこで感じられていたことが、想像力を活性化していた側面もあるように思う。

とはいえ、テレビによって活性化された思考というのが、常に真っ当なものとは限るまい。それは、薬物に頼って悟りを求めるのとどこか似ている。私がつきつめるべき思考は、本来こうした冴えた静かさの中にあるのかもしれない。

あくまでも本人の好みで選択していいとは思うのだが、テレビをつけたままの読書と、テレビを消した読書が、大きく違ったものになるのは間違いないようだ。もちろん、家族が多かったり、自室がなかったりといった場合は、「冴えた静かさ」は難しいかもしれない。だが、震災以来のテレビ番組が、私たちの想像力をいろいろと阻害した側面は、実際にあったと思う。ささくれてギスギスした気分の多くは、テレビの影響ではないかという気がする。そうした気分で冷静な思考は難しく、想像力はキャパを狭めてしまうだろう。

別にメディア批判ではなくて、あくまでも視聴者の問題として考えたい。ネット等の果たす役割が大きくなったとはいえ、私たちの情報源の多くは、やはりテレビに依っている。「何が起こっているのか」知りたいと思った際に、テレビにかじりついてしまう私のような人間は、少なくないと思うのだ。今回の震災で、私たちの多くはあまりに「かじりつき」すぎてしまった。そのため、テレビとの正常な付き合いが難しくなっているような気がするのである。

テレビの情報に一喜一憂するのは、ちょっとお休みしてみよう。まずは、テレビをつけている時間を普段の半分程度にして、活字だとか、家族友人との会話とか、そちらにより多くの脳内リソースを差し向けるようお勧めしたい。

2011年4月 1日 (金)

チシキジン

ほんの短期間、出張で北京に行った。地震や原発事故を受けて、日本在住の外国人が空港に押しかけた直後のことである。

聞くところでは、3月16日に帰国した外国人の数が最も多く、およそ2万人とのこと。中国国際航空(CA)が数日にわたって欠航したため、羽田や成田ではCAで帰国する予定だった多くの中国人が足止めをくい、かなり混乱したようだ。そうした情報を耳にしていたので、私たちの乗る飛行機が無事に出るかとヒヤヒヤしたが、日本の航空会社に大きな便の乱れは見られなかった。

出張の目的は詳しく話せないが、中国学のあるテーマについて、中国の学者、思想家、評論家諸氏と意見交換し、彼らの知見を伺うといったもの。文系の学問においては、著書や論文を読んだり、メールのやりとりをするだけではなく、直接お会いして情報交換するのも重要で、しばしば公にはしづらい考えを聞けるのがありがたい。それによって、著書や論文の行間に相当する部分を効果的に補うことができる。

当初予想していた以上に、第一線で活躍する多くの方が時間をとってくれた。うち何人かは、日本でも名前の知られている人物で、いわば今の中国を代表する日本通である。錚々たるメンバーに集まっていただきながら、しかし日本側の参加者(私たち)の大半は、実はあまり集中して議論に臨むことができなかった。今回必ず聞くべき事、伝えるべき事は、ほぼ問題なく消化したものの、ふとした瞬間に震災と原発が頭をよぎるのである。

実際、日本側メンバーの中には震災に遭って同行できなかった者もおり、また、首都圏で食料が手に入らない状況が発生した矢先であったから、日本に残してきた家族が気にかかるのも仕方ないことだろう。それに、正直を言えば、単に不安で、恐ろしかったということもある。何の根拠もなく、「もう帰れないんじゃないか」などという考えが何度か頭をかすめた。

地震、津波、そして原発の模様は中国でも報道されており、当初はかなりヒステリックなものだったようだ。都内で働く中国人の友人には両親から泣きながら電話がかかってきたというし、「塩買い占め騒動」なども記憶に新しい。

罹災した方が今後の生活を憂い、福島在住の方々が原発の帰趨を不安がるのは至極当然のことだ。だが、原発から200キロ以上も離れた首都圏に住んでいながら、「放射能が来るぞ!」という不安が私たちをとらえており、一旦来てしまえば、もうお終いのような気がしていた。不安自体は必ずしも距離と関係がない。どんなに離れようと不安からは逃れられない。中国やアメリカ、ヨーロッパでも、ある種のパニックが生じたというのが、それを裏付けている。

今回北京でお会いした方の中にも、前もって見舞いのメールをくれたり、電話で励ましの言葉をかけてくださった人がいる。だが、会合が地震や原発の話で持ちきりになるかと思いきや、全くそんなことはなかった。彼らは落ち着いたもので、地震の話題は最初の数分だけ。すぐに予定のテーマに入り、私たちが知りたかった学術的内容を、的確に提示していった。

それは彼らが冷たいとか、地震や原発が所詮は他人事だからではあるまい。おそらく、優れた危機対応能力(内田樹ふうに言うなら「どうしていいか分からない時にどうすればいいか分かる」能力)に由来する。腹が据わっているということもできよう。

パニックになる人々がいる一方で、情報に目配りしながら腰を落ち着けて動じない人々がいる。中国の場合、前者は庶民、後者が知識人ということになる。20世紀後半の中国史を概観したとき、知識人のおかれた位置は必ずしも幸運なものではなく、むしろ苦難の連続であったと言ってよい。批判され、死に追いやられた人々も数知れず、それにもかかわらず、プライドと自らの使命を忘れなかった知識人が多数いる。今なお言論の自由が十全に保証されているとは言えない中、現代中国の知識人は言論を職業にして生きている。それは覚悟を要することだ。

一方で私たちはどうか。現在の日本で、言葉を飯の種にしてきた人々の狼狽えようはどうか。言論の自由という傘の下、私たちは危機に対して浮き足立つばかりだった。「ぬるま湯」「平和ぼけ」等々、つい最近までの日本社会を形容する言葉の多くは、どうも偏狭な感じがして好きでなかった。微温的雰囲気を批判する声には、「ぬるま湯や平和のどこがいけない、素晴らしいことじゃないか!」と、内心反発したものだ。しかし、ぬるい湯船の中で、私たちは知らぬうちに眠り込んでしまっていたらしい。

彼らと話すうち、私たちも落ち着きを取り戻すことができた。落ち着いたときに直面したのが、赤面しそうな恥ずかしさである。

日本と中国で、特に人文系の研究者が果たす役割は大きく違う。毛沢東時代に完全否定されたものの、中国では科挙(王朝の官吏登用試験)以来の伝統が残留していて、人文系研究者の社会に対する責任感は概ね強い。一方で、日本の研究者の多くは、言葉は悪いが「余計者」的な立ち位置に甘んじてきた。それを当然のことのように感じていたとすれば、反省せねばなるまい。

遅まきながら、私たちにも出番が回ってくるような予感がある。刀の切っ先を突きつけられながら、動じずに使命を果たさねばならない瞬間が、眼の前に迫っているような気がする。時間はそうないにせよ、備えが必要だ。

2011年3月31日 (木)

ダブルスタンダードのすすめ

花見の季節到来である。私はソメイヨシノの狂い咲きより、山桜の清楚な趣が好きだが、それとは別の話。各地で花見の「自粛」が進んでいる。

http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C889DE0E7EAE5EAE0E2E2E1E2E2E1E0E2E3E39EEBE0E2E2E2;at=ALL

http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20110329-OYS1T00216.htm

3月29日には、東京都知事がこう述べた。いわく、「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない」、「今ごろ、花見じゃない。同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出来てくる」、「(太平洋)戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。戦には敗れたが、あの時の日本人の連帯感は美しい」(時事通信)

何か違うんじゃないか、というのが率直なところだ。そもそも、何故日本人は花見をしてきたのかに思いを致さぬまま、これを無駄(直接そう言っているわけではなさそうだが)と一蹴するのはおかしい。何事にも存在意義というものはあり、取りやめる際にはプラスとマイナスを考量し、プラス面を意識しつつ「やむなく」「涙をのんで」という手順をとるべきであろう。

花見には、御上に対する批判を発散させる「ガス抜き」の意図があったと聞く。それはそうとして、あらゆる祝祭と同様の効用も認められよう。祭りは、神や自然に感謝するといった側面とは別に、日常から非日常へ、再び日常へという往還の中で、参加する人々の精神を健全化し、生活への活力を呼び覚ます作用がある。

花見にともなうどんちゃん騒ぎは、個人的に好きではない(どうにもついていけないという感じを持ってしまう)。だが、今はむしろそれが必要ではないかという思いの方が強い。苦しい生活に耐える被災者のことを考えるべきだというのは一見もっともだが、直接の被害に遭わなかった人々は、一刻も早く活力を取り戻し、日常へと回帰する必要がある。その際に、笑い、騒ぐことの効果はあなどれない。

たとえば葬式の後の宴会。当初は誰もが淡々と、悲しげに酒を口に運んでいる。しばらくすると親戚のおじさんが一人、酔って訳の分からないことを話し始める。乱れだした彼に、不謹慎だと眉をひそめる人々もいる中、場の雰囲気はようやく和らぎをみせる。「まったく○○さんはしょうがないねぇ」と言いながら、参会者の口元には微笑みが浮かぶ。

アマテラス神が天の岩戸に閉じこもり、地上に暗黒がもたらされた時、事態打開のきっかけを作ったのはアメノウズメの裸踊りと、それを見た周囲の高笑だった。笑い、騒ぐことによって世界が危機から救われたとするこの神話は、私たちにとって貴重なメッセージを含んでいる。

そもそも、工場の受けた損壊とともに、停電や円高、さらには風評被害の影響で、日本の製造業は危機的な状況にある。物が売れなくなれば、日本経済は立ちゆかない。そこにさらなる追い打ちをかけるのが、国民の「自粛」ムードである。国内消費の低迷は、復興への底力を失わせることになろう。幸運にも現在余裕のある人々は、もっと金を使うべきなのだ。

九州で必要以上の節電を行うことの意味は何だろうか。花見を「自粛」することの理由が、単に不謹慎だということならば、勘違いもはなはだしいと言うべきだろう。一刻も早く、日本を覆う暗澹たるムードを払拭していかねばならない。東北の復興も、その延長線上にしかないということを忘れてはならない。

「連帯」そのものは「美しい」ものだが、石原都知事の言う「連帯」はまやかしである。戦時中、半ば強制された動員を「連帯」と言うなら、全体主義こそが最も「美しい」ということになる。本来の「連帯」とは、各人が自由意思に基づき、自発的に一つの目的に参与することであり、「自分を抑え」た結果というより、自分の表現、自由意思の発露であってしかるべきなのだ。だからこそ「美しい」のである。

揚げ足とりはしたくないけれど、「同胞の痛みを分かち合う」っていう都知事が、あの津波を賞賛したことを私たちは忘れない。これに謝罪して、原発の作業に当たった方を涙でねぎらい、金町浄水場で水をがぶ飲みしたけれど、これら一切がパフォーマンスに見えてしまうくらい、「津波天罰」発言は印象に残るものだった。

当然、私たちは一定の義務を負うべきであり、現在「非常時だから仕方ない」というマインドも必要とされてはいる。だが、希望、欲望、我欲は、その一部のみ抑制すればいいのであって、持っていること自体が悪なのではない。善か悪か、イエスかノーか、0か100かを問うてはならない。全てはバランスの問題なのだ。

非常時マインドで抑制も必要、できるだけ金を使って思いきり楽しむことも必要。これをダブルスタンダードというなら、私はむしろダブルスタンダードこそを提唱したい。0と100の間で自らの立ち位置を選択すること、中間項として生きることが求められている。

2011年3月30日 (水)

清涼剤

昨日到着。一部で有名な「中国嫁日記」の番外編。

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私と同世代だと思われる作者の井上さん、一本筋の通った生き方は大したものだ。

「中国嫁」月さんも、大変しっかりした方だと思う。

何度か通読して、元気がわいた。

真夏にレモンスカッシュをがぶ飲みしたような、そんな印象だった。

3・11に寄せて

3月11日以降、私たちの身辺は様相を一変させてしまったかに見える。地震や津波で直接の被害に遭われた方はもちろん、関東在住の私たちも、安穏として毎日を送ることが難しくなった。私たちにとって最大の原因は、数年単位の長期戦を免れないだろう原発事故と、放射線物質の飛来に、私たちがかつてない不安に駆り立てられていることだ。

福島第一原発1号機の水素爆発あたりから、私もテレビやPCの前に陣取って、余暇の全てを情報収集に費やす有り様だった。3号機建屋が灰色の煙を上げて吹っ飛び、2号機圧力抑制器の損傷を知り、4号機使用済み燃料プールの異状を知るに及んで、実際ほとんど絶望的な気分になった。現在も、状況は好転せず、じわじわと悪化している。食料や水の汚染が取りざたされ、水道水や空気中の放射線濃度を確認するのが日課となっている。おそらく、この状況は今後しばらく続くだろう。東日本壊滅という事態は避けられるとしても、福島第一原発の損壊の程度は、手のほどこしようのないレベルに至っている。

ネット上では、官邸や東電、安保院の発表を戦時中の大本営と同一視し、テレビに登場する専門家を「御用学者」として切り捨てる論調が力を増している。東電と原子力工学およびメディアとの癒着が指摘され、彼らは信用できないとする意見が多い。一方で、危機を声高に主張する人々に信頼が集まっているように見える。

反原発運動をされてきた個人や団体に、好意的な意見が集まること自体は当然だろう。だが、ちょっと待って欲しい。危機を訴える人々の声が耳に心地よいのは、それが「正しい」ことが原因ではない(何が正しいのかを判断する客観的基準を私たちの多くは持っていない)。私たち自身の不安を代弁してくれ、「やっぱりそうだった」「思った通り危ないんだ」と納得することで、私たちはゆがんだ安心を手に入れようとしているのではないか。

「危ない」のか「安全」なのか、どちらかにしてほしいという思いは理解できる。しかし、オール・オア・ナッシングで語られる事実は、現状では役に立たない。「絶対に安全」ということは本来存在しない。危険と安全の中間で私たちは生きてきたし、これからも生きていかねばならない。これまでは危険を意識せずともよかったが、今後は日常に存在するリスクと誰もが向き合わねばならない。どれくらい危険なのか、どれくらい安全なのかを判断し、自らの生き方を意識的に選択せねばならない。

専門家は信用ならないと言いつつ、「私(たち)はどうすればいいのですか?」という問いに応えてくれる相手を希求する人々は、自分で選択せねばならない状況にとまどっている。私たちはあまりにも他責的な論調に慣れてしまい、誰かがなんとかしてくれる状況に甘んじてきた。メディアもそうだろう。事ここに至ってなお、国や東電を責める論調が影をひそめることはない。

原発を推進してきた国、電力会社、専門家の責任は、今後追及されるべきだ。だが、それはあくまでも「今後」のことである。事態の収束を長期間待ち、危機を乗り越えた段階で、大いにやるべきことであり、事故の解決自体は彼ら当事者に頼るほかない。不安で、もどかしく、誰かに怒りをぶつけたくなる気持ちはわかる。しかし、今はそれに耐えることが求められている。

国や東電がデータを隠しているとする根拠は、彼らの前科から敷衍されたものだ。原発に問題が発生するたびに、国も電力会社もそれを隠蔽しようとし、原発の「安全」神話を創ることに躍起だった。しかし、今回の事故に際しては、必ずしも当てはまらないのではないかというのが私の印象だ。むしろ隠蔽できるほど豊富なデータを彼らは持っていないのではないか。計器が故障し、炉心、圧力容器、格納容器がどうなっているかは、排出された放射性物質の種類と濃度によって逆算的に想像できるだけである。さらに、原発敷地内で計測されるデータの全ては、現場の作業員が極めて不自由な状況下で測っている。「東電は当然つかんでいるはず」という憶測は、平常時には当てはまるとして、現状ではどうか。プルトニウムの計測等がなぜ今まで行われなかったかも、時間的・人員的余裕の無さが最大の理由ではなかったか。

言えばなんとかなる(誰かがなんとかしてくれる)という状況ではない。今度に限っては、クレーマーとかモンスターとか呼ばれた人々の声を受け止める相手はどこにもいない。情報の総量は限られており、その限られたデータを私たち自身が考量し、判断していくほかない。その際に、専門家の意見は参考になる。現状の危機を言い立てる人のみが信用に足ると考えるのは浅はかだ(彼らだって、どうしたらいいかを指示してくれるわけではない)。「絶対に安全」などということはあり得ず、「当面は安全」という情報を自分で受け止め、被爆総量を自分で計算し、私たちは今いるこの場所で生きていかねばならない。自分でデータを考量するのが嫌なら、国の指示に従うのが現状では最も妥当な選択だろう。

東大放射線医学チーム: http://tnakagawa.exblog.jp/

首相官邸HP: http://www.kantei.go.jp/saigai/

首都圏は「当面」、「相対的」に安全だ。完璧な安全を求めるなら、自分の判断で生活基盤の全てを捨て、いずれかの土地へ避難するしかない(それだって、「完璧」な安全が手に入るわけではないのだけれど)。むしろ私たちがすべきことは、停電等の影響を考慮にいれつつ、可能な限りの消費と生産を継続することだろう。必要以上の自粛ムードは、日本経済を停滞させ、復興への活力を奪い去る。長期にわたって不安に耐える上でもマイナスだろう。放射線データを参照しつつ、これまで通り仕事をし、買い物をし、美味しい食事をし、笑い、楽しむことが、非常に逆説的ではあるけれど、直接の罹災をまぬがれた私たちの務めである。

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