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2011年4月 7日 (木)

『WiLL』の特集

なんとも花田紀凱らしいというか、相変わらず独特の雰囲気だが悪くない。

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中には個人ブログからの転載もあるようだが、みな短文ながら百花斉放の観。今月の月刊誌ではピカイチといってよさそう。

もっとも、やはり思想傾向に違和感はある。一定のバランス感覚に支えられ、時宜を得た発言であれば、必ずしも左右にとらわれずに読むようにしている。特に、最近は右や左っていう区分でもって、著者に信用がおけるかどうかを判断することは、ほとんど不可能になっているから。

その上で感じるのだけれど、本誌に寄稿している方々のうち何人かが、なおも既存の枠組みというか、「保守」としての立場に固執して震災を論じているように見えるのが残念だ。結論ありきで、「この人ならこういうことを言うだろうな」という予想と、大きく違わない文章がある。

比較的長期にわたって堅持してきた立場を捨てるなんて容易でないし、その必要もないと思うのだけれど、大きな出来事が出来した際に、それを語るべき自己の在り方を問う姿勢っていうのは必要なんじゃないか。

自分が堅持してきた枠組みで何でも語れると考える(さらには、自らの正しさが証明されたかのように考える)のは、あまり良い傾向じゃないと思う。それじゃ、マルクス主義を至高の真理だと言って、現実の方をそちらに近づけようとした人々と、そう大きく変わらない。

災害の大きさ、事態の深刻さを受け止めつつも、あまり悩んでらっしゃらないように見える。悩むことは動揺することとは違って、思想の放棄ではなく深化を促すものだと思うのだけど、年配の方々にそれを求めるのは酷ってことだろうか。あまり単純に世代で区切っちゃうのは抵抗があるのだけども。そもそも、区切ったところで何のメリットがあるのか疑問だし。

まったく新しい枠組みを提示するには時間が必要だろう。とりあえず今の時点では、本誌の特集が有意義なのは間違いない。要はこれからってことだな。

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